闇夜でもお月さんはいつもある

私が入っている国際ロータリーは全世界に広がっていますが、各地区に分かれて活動をしています。
私は約
15年前から「浜松ハーモニーロータリークラブ」に入会しています。
そのロータリークラブに毎月
「ロータリーの友」という月刊誌が送られて来ます。
今回は1月号の中にあった
「空海に学ぶ前向きな心」を紹介したいと思います。
講話を編集したもので、
【小藪実英】(こやぶじつえい)さんという丹波あじさい寺観音寺住職・高野山真言宗教学部長さんが話されたものです。人間の生き方について話されたもので、私は非常に感銘を受けました。
皆さんにも是非読んで頂きたく、副題として出ていた
『闇夜でもお月さんはいつもある』をタイトルとして、ここに抜粋してご紹介します。

《 アイザック・ニュートンは、木からリンゴが落ちてゆく様子を見て、万有引力の法則を発見しました。仏教を開かれたお釈迦さんは、この世の中の全てのものは縁起、縁によって成り立っているということを発見されました。縁がなければ、いくら努力しても、ああしたい、こうしたいと思っても、成り立たないということです。目には見えませんが、縁というものが必ず働いて、良い結果にせよ、悪い結果にせよ、この世のものは成り立っているという見方が、お釈迦さんの説かれた、「縁起説」という仏教の根本にある教えです。
今日は、そんな不思議なご縁を頂いて皆さんの所へお話にやってまいりました。このご縁を感じながら
「空海に学ぶ前向きな心」と言うお話を聴いて頂ければ幸いです。
・・・
「雲晴れて後の光と思ふなよ 元より空に有明けの月」という歌があります。
雨雲があって今日は闇夜だと思っても、お月さんはいつもあります。実際はそこにあるのです。見えないのは自分とお月さんの間にある雲が邪魔をしているからです。それと同じことで、自分の中には仏さんと同じ素晴らしい素質があるのです。しかし長く生きている間に、悪いものを見たり、悪い事を考えたり、いろいろなことをしている間に、だんだんお月さんの前に雲がかかるように、垢のようなものがかかってしまい、その素晴らしい素質が見えなくなってしまうのです。そして「私はあかん」「俺はダメだ」ということになってしまっているのではないかと思います。ところが、風が吹いてこの雲が流れて行けば、
「きれいな月はちゃんとそこにあるのです」ということをこの「雲晴れて後の光と思うなよ 元より空に有明けの月」という歌は言っているのです。

・・・お釈迦さんはこの世の中は無常だとおっしゃっています。無常というのは常が無いという意味です。生まれて来たものは必ず死んで行く、出会った人とは必ず別れが来る、手に入れたものはいつかは失うと、お釈迦さんはおっしゃっています。あじさい寺のアジサイの時期に、縁側に置いてある「あじさいノ―ト」に、ある小学生がこんなことを書いてくれました。「きょうは、おばあちゃんとか、みんなであじさいを見に来ました。去年は、お父さんもいました。きょうは、お父さんの月命日でした。お父さんと来たかった。お父さんも空からあじさい見てね。」けなげなことが書いてあって、非常に心うたれました。この子のことを、かわいそうやなと思うのですが、仏教的に捉えると、無常、常が無いわけですから、この悲しみも、永遠には続きません。頑張って、前向きに生きていったら、少しずつその悲しい心も癒されていきます。
「止まない雨がないように、終わりのない悲しみもない」ということです。
お大師さん、空海さんの教えは、前向きです。前向きで、肯定的に自分にとって都合の悪いものまでも自分に有益に見て行く。そういう生き方だと思って頂いたらいいと思います。
「いいな、いいなと生きて行く。」これが空海さんの教えだと取って頂いたらありがたく存じます。 》

 

 この世に生まれて、皆それぞれ幸せを求めています。でもやはり人生は無常です。今日が明日に必ず続く保証はありません。そうであれば今日一日を、有意義な悔いない一日として、生きて行くしかありません。そして一日一日が続いて行くよう心から祈り願って生きて行きましょう。

      『 素晴らしい未だ見ぬKONOIKEに会う為に今頑張ります。 』 以上