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道徳なき経済は犯罪である

表題は【二宮尊徳】が残した有名な言葉の一部です。『道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。』は後の経済人始め多くの人々に、様々な示唆を与えています。【二宮尊徳】は1787年9月4日に現神奈川県小田原市に生まれ1856年11月17日に享年70歳でこの世を去りました。通称は【二宮金次郎】と呼ばれ公人としての名を【二宮尊徳】と呼びます。幼い頃に両親を亡くし、災害で没落した家を独力で再興し、この体験をもとに天地人三才の徳に報いることを説く「報徳思想」を作りました。後に農民の出ながら、小田原藩に登用され普請役格の幕臣になっています。そして関東とその周辺の諸藩領、旗本領、幕僚、日光神領の復興や戸別の家や村の再建を依頼され指導しました。私が卒業した小学校には薪を背負って歩きながら本を読んでいる銅像がありました。『道徳なき経済は犯罪である』は今日現在であっても、最も重視しなければならないことです。コンプライアンスが叫ばれている昨今ですが、法令遵守はもとよりこの道徳を根源に置かなければ経済活動は犯罪であると言いきっているところを再認識したいと思います。道徳とは、人間の踏み行うべき正しい道であり、またそれにかなう行為です。法令の前に道徳があるのです。もう一つ加えられている『経済なき道徳は寝言である』と述べられているところも非常に重要です。道徳を重視すれば経済活動、発展は無視して良いか?とんでもない。経済あっての人間社会であることを強く教えているのです。
この「報徳思想」を受け継いで掛川市に【大日本報徳社】が設立されています。彼の弟子である【岡田佐平治】が掛川市倉真の出身であることから全国にある【報徳社】を統括する最上位組織として存在しています。掛川駅前の広場には【二宮尊徳】の銅像が建てられています。       
もう一つ【二宮尊徳】が残した言葉に「この秋は雨か嵐か知らねども、今日のつとめの田草とるなり」があります。未曾有の景気悪化の今日、我々の将来は考えれば、考えるほど不安が一杯です。確かに将来は誰にもわかりません。将来、雨が降ったり嵐が来て、せっかく育てた作物が全て実らないかもしれません。しかし彼の言っている通り、今日やるべき仕事である田の草をとるのです。こんな時だからこそ常の仕事を精一杯やるのです。お陰様でKONOIKEは今のところ、この100年に一度の不景気の影響は気になるほどではありませんが、将来を考えれば心配になってあたりまえです。
世の中が悪い時こそ本領発揮です。KONOIKEにとって最大のチャンスであることも事実です。この春には神奈川県に営業所を出します。また今年も例年のように新入社員が4月には入社します。全社員で果敢に将来に向かって進んで行きましょう。
ここである話を紹介します。ある外国の南国の島での話です。久しぶりに長い休暇をとった中年の日本人男性が、のんびりと海岸を散歩していると現地人と思しきこれまた中年の男性が釣りをしていました。「おじさん どんな魚が釣れるかね」と聞くと「魚は釣れんよ。ま 何日かに一匹ぐらいは釣れるがね」「それじゃー ひまつぶしかね」と聞くと現地人は「あんたは日本から来たのかね。何しに来たのかね?」日本人は答えます。「私は日本で毎日毎日必死になって働いているので、会社が長い休暇をくれたのさ。のんびりと過ごしたいと思いここに来たのさ。」すると「なんであんたはそんなに働くのかね」と聞きます。日本人は答えます。「私は一生懸命働いてお金を貯め、将来は家内と一緒にのんびりとこんな島で、魚でも釣って暮らしたいと思って働いているのさ」現地人はびっくりしたような顔でこう言いました。「あんたら日本人はもっとすごい思っていたが、かわいそうだなー。そんなに働かなければそんなことも出来ないのかね。わしら、もうずっと前からあんたがしたいことをしているよ。魚が釣れようが釣れまいがそんなのどっちでもいいのさ」
広い目で見ると色々な人生があります。毎日仕事に追われ大変な日々ですが、これからの人生、皆で明るく楽しく《働楽高信》を進めていきましょう。

素晴らしい未だ見ぬKONOIKEに会う為に今頑張ります。