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60からの手習い

 表題は平成17年10月、22年3月のこのコラムでも紹介した昭和の大哲学者『中村天風』先生の「運命を拓く」の中に載っていた言葉です。私は悩んだり迷ったりしている時に、何度かこの本を開いて自分自身を見つめ直し、大きな勇気を貰っているのですが、この夏休みに読み直してまた改めて感銘を受けました。今日はこの中から第7章「人間の生命の本来の面目」を私なりに抜粋して紹介します。
 《 おおむね多くの人々は、知っていなければならないことは知らなくて、知っていて何もならない余計なことは知っている。その上、知っていると、かえって害になることまで、しっかり覚えている。たとえば、テレビで見る一部の企業のPRだとか、あるいはラジオの、ラジオドクターの衛生講話だとか、あんなものは聞く必要はないのである。聞いても、何もなりはしないのだ。「陽気の悪い時、風邪を引かないようになさい」「今年の風邪はホンコン風邪で、どんなウイルスか判らないから用心をしなさい」と。この間もやっていたが、「まだワクチンが発見出来ていない。どの種類に属するウイルスか判らないから、大いに用心なさい。今年の風邪引きは命取りです。」そうすると、それを聞いている教育ママなんかは、もう何か一端わかったような顔をして、「今年はホンコン風邪が流行して、それが命取りだそうですから、用心しましょうね」という。どう用心するのか。一番肝心なのは、どう用心するかということ。用心する方法を知らないで、「用心しましょう」という。こんなことは要らないことだ。香港から風邪が流行して来て、ウイルスが判からなくても、それは医者の方の責任であり、こちらに責任はない。医者が一所懸命それを探求しているということを、報告するのならまだしも、「なるべく、多くの人を病に罹らせないよう一所懸命努力しています」というのならわかるが、「皆さん用心しなさい」とか「風邪を引かないようにして下さい」とか、そんな、無茶なことをいっても駄目だ。用心に用心を重ねていても、風邪を引くことがあるということを考えなければならない。だから素人として知らなくてよいことは、知らなくていい。やれ心臓がどうで、肺臓がどうで、肺臓がすべって腎臓がころんだ、なんてことは知る必要はない。正直な話、私が病になりたてにはちっとも神経がたかぶらなかったのに、医学を研究してからよりいっそう弱くなったのである。つまり知らなくてもいいことを知ってしまうからだ。医者がその仕事の為に覚える医学は必要だが、素人は知らなくていいのだ。・・・人間としてどうしても知らなくてはいけないのが『人間の生命の本来の面目』である。本来の面目とは、本当の目的ということだ。本来の目的を知らずに生きている人が何と多い事だろう。人間の本来の面目は何だろう。少し考えてごらん。それは『創造の生活』である。これが生まれた時から、お互いの生命に与えられた、本来の面目なのである。ところが多くの人々はこれを全然自分の念頭に置かない生活をしていやしないか。ただもう自分だけのことを本位として、食うこと、着ること、儲けること、楽しむこと、遊ぶことだけ。なぜ人間の生命の本来の面目が、創造的に出来ているか。それは進化と向上を現実化するために、人間に、この本来の面目が与えられているのである。まだわからないか。では考えてみよう。どんな人間でも狂っていないかぎりは「何ものをも完全であらしめたい。完全につくり上げたい」という気持ちがあるはずである。すなわち、ものの破壊や消滅を好まず、ものの成就や完成を喜ぶという感性を生まれつき持っているのである。これは人間の生命の中にある自然傾向であるからである。いわば自然に与えられた活動的能力である。だからこの自然傾向を確実に応用しさえすれば、健康なんてもう問題じゃない。もう死ぬまで丈夫でいられるし、その上自分のやっている仕事はすべて成功する。成功せずにはいられないのである。ところが、この自然傾向を確実に応用しないで、脱線すると事業に失敗したり、あるいは不運に見舞われたりするのである・・・この創造的に活動するということ、『人間の生命の本来の面目』を念頭において生活すること、これが人間の目的であることが理解できたか。特に、私が声高くして言いたいのは、どんな老年になっても自分の心からこの意欲をピンボケにしないことである。若いうちはこれが判っていなくても、自分をもっと向上させ、より秀でたものにしたいと心の中で相当に燃えている。しかし、もう50が過ぎ、定年が気になり、60を過ぎると、早くも生命の老い先の短さを感じて、そそっかしい人間になりこの創造の意欲が薄くなってくる。昔の人は、そういうのが多かったと見えて、60の手習いなんていうが、私は『60からの手習い』にしなさいというのである。ところが50,60になって、自分の今までの努力が実らない人になると「もう俺はどうせ駄目なんだから」といって、もう自分に見限りをつけてしまって、自己認証ができない、ずいぶん程度の低い人が多い。自分の生活が希望がない、あったとしてもその希望がピンボケでただ「生きているから生きているんだ」というようなだらしない生き方をしている人間が多くはないか。こんな人生は、無価値な、無意味な人生でそれ以外の何ものでもない。だから、こういう犯すべからざる事実から推定しても、どんなに年をとっていようと、自分の心の中で創造の意欲という情熱の炎をえんえんと燃やしていなければいけないのだ。 》
 私自身を鼓舞するためにも、また年齢の高い人のためにも、少し長くなりましたが、ここに引用させて頂きました。いつも言っているように、これからの人生では今が一番若いのです。まだまだ若いのです。若いうちに、年をとっても若いうちに、大いに勉強して『60からの手習い』をしていきましょう。

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